「SOL CHORD SCREENING Vol.01」イヴェント報告
2007年3月27日、SOL CHORD/MEDIA SHOP共催による"SOL CHORD SCREENING Vol.01"が行われた。
このイヴェントは、"撮影行為とアートを結ぶ、DVDレーベル" ソルコードの第二期リリースのプロモーションと、メディアショップのVOXホール使用トライアルを目的として行われた。
2006年より新たにスタートしたVOXホールのステージに、200インチのスクリーンを立てて、新作プレミア上映、上映パフォーマンス、トーク・ショーを行うのが、今回の試みである。
19:05スタートという厳密なプログラムを支えたのは、今回のイヴェントの実質的な運営チームであるIAMAS(情報科学芸術大学院大学/国際情報科学芸術アカデミー)の方たちの、確かなスキルとフレキシビリティによるものだ。段差のある特異な形状を特徴とするVOXホールを、上映スペースへと変換させた。
平日の悪天候という状況にもかかわらず、定時通り集まった観客の前に、出品作家である池田泰教、木村悟之の2名が紹介される。
もう一人の出品作家、大木裕之は遅れて参加の旨が伝えられた。(それは後に編集中だったことがわかる)
すぐに最初のプログラム、木村悟之 "軌跡映画2 バロック(track 2.1/2.4/2.5)"がはじまった。
木村は、昨年ソルコードから"軌跡映画1 Cyclops"をリリースした、若手映像作家である。
今回の上映作品は、VOXビル屋上からの風景なども含む新作で、タイトル通り、DVDリリース作品の続編である。
木村にとって撮影は常に継続される。そこで彼はルールを採用する。
それは、ハンディGPSを用いて半径3kmの円周を、24時間かけて移動しながら撮影するというものだ。そのルールによって撮影された内容が、軌跡となって現れ、作品化する。そしてまた撮影は継続される、この新作のように。
いつしか彼と同じように、移動し、彼の行動を追うようになるうち、3トラック(周) 35分間の作品が終了した。
軽いブレイクの後、続いてのプログラム、池田泰教 "o/φ 0327版" がはじまる。
同じく、若手作家の池田がソルコードでリリースした作品 "7×7"においても、形式が貫かれている。49秒ずつ49日間撮影するというものだ。7週間というサイクルは、7日ごとのピアスとして身体にも刻まれる。
しかし彼の撮影行為に着地点をみつけることは難しい。日常的な光景の集積は時間の経過の記録ではなく、塊として存在するものだからだ。
今回の新作では、時間的な制約もあり、形式の踏襲とはならなかったが、まごうことなく同じ姿勢で撮影されたものたちがスクリーンに映し出される。
15分の上映時間では池田を捉え切れない感もあったが、静かに終了した。
最後に登場した大木裕之は、豊富なキャリアを持って、観衆を圧倒した。
"TRAIN 松前君の兄弟の神殿の形2"は直前まで編集作業がされており、その映像素材を、音楽にのせて早送りしたり、巻き戻しをしたり、という上映パフォーマンスが行われた。
タイトルにある "松前君の~"の「松前」とは北海道の地名であり、ソルコードリリース作品"松前君の兄弟の神殿の形'"より続く、現在製作中の"TRAIN"において、京都とも繋がることになったのは、関係性を作品に取り込む大木ならではの側面が感じられた。
激しく揺れる画面に文字通り酔いしれる人がでるなか、上映パフォーマンスは怒涛の勢いで終了した。
上映の余韻が残る中はじまったアフター・トークでは、ソルコード・スーパーバイザーの前田真二郎が聞き手となり、各参加作家の話を聞く事が出来た。
木村は、未だ観客に対して明かされていなかった撮影ルールの説明を行った。
場所と時間と方向を決め、0時から24時まで36ポイントの撮影をした事/今回、撮影の場所を、三重県熊野、京都とした事など。
また、撮影が"素朴に楽しい"という本音もちらりとみせた。
池田は、まず題名の読みが"o/φ:オー・スラッシュ・ファイ"であり、題名の由来が形態(片目の人のようにみえる)を意識した事を明かした。
木村作品とは違い、ルール下で撮影するという類いの作品ではないため、池田の作品を初見の観客が戸惑うかもしれない内容についての質問がされたが、本人が口ごもるシーンもあった。
言葉ではうまく説明できないという姿もまた、作品に対する作家の姿勢が伺い知れたと言えようか。
一方、大木は"TRAIN 松前君の兄弟の神殿の形2"について、TRAIN = トレインが、電車ー訓練ー繋がる、などの複数の意味を持つ事/ソルコードリリース作品は、異例の速いペースで完成したこと/松前君シリーズは15年以上続いていること/"TRAIN"は、1月6日からスタートし、アラブ首長国連邦、東京、インドと続くこと/上映の直前まで喫茶店で編集していたこと/プロセスをみせるためこの上映スタイルをとっていること/などを、場慣れした的確な語りで説明した。
ダイレクトにコミュニケーションをとってもらうことで、よりソルコードのあり方を知ってほしいというレーベルの意向を反映し、質疑は行われなかった。
最後に、本日の出演者、大木裕之、池田泰教、木村悟之、並びにレーベル作家の前田真二郎、上峯 敬がステージに立ち、観客への挨拶を終え、全プログラムが終了したのは、ほぼ定時。
抑制のきいた濃密なイヴェントはこうして終わった。
打ち上げの席で、今日の感想を含めて参加作家の三氏に、あらためて話を聞いた。
イヴェントとは うって変わった賑やかさの中、作品やアフター・トークでは知ることができなかった作家の姿に触れることができた。
三者三様のパフォーマンスながら、皆それなりの手ごたえを得たとのことであった。
大木裕之とは、プロセスについて、またリアル/フェイクについて話をするが、途中で巧妙に核心からずれる。
酒の席で、場の中心となる振る舞いをしていても、彼の思考は常にどこか覚醒し、自分の存在を、他者の存在を映像と言葉を往還させながら立ち上がらせるその秘密に関しては、安易な言葉を残さなかった。
池田泰教とは、ステージで詰まった言葉の先を聞いてみたいと思ったが、彼にはやはり、今、言葉がない。
"逡巡すること"は、彼の映像からもにじみ出るひとつの特筆的な点だが、つぶやいては否定する、しかしまた紡ごうとしては言葉を失う姿は、喧騒の中にあっても変わることなく、しかし単なる苦悩の安易な露呈ではなくそれは逡巡であり、作品に連なる言葉だった。
木村悟之は、すでに方法論をもっており、ある意味で迷いは無い。そこで、より映像についての話を聞いてみた。編集することや映像美についてである。
すると、意外と自覚的では無い言葉が返ってきた。
軌跡映画においてあるポイントをを撮影する際、ただ次のショットとの繋がりを考えた終わり方をする、ということであった。
もちろん考えていないわけでは無いであろうことは察しがついたが、時折入る遠景のショットが心象風景の表象で無いのなら、一体何を見ているのだろうか?
しかし彼がルールを採用する理由や、撮り続けることが自然であるならば、題名の"軌跡映画"通り、これは映画なのであり、ルール内で起こったドキュメントでは無く、あまり声高には発露しない作家の内面との関係であろうことが言外に伝わった。
"撮影行為とアートを結ぶ、DVDレーベル"ソルコードとの共催イヴェントは、トライアルとしてとても貴重なものとなった一方、このレーベルの特長が際立つ内容となり、今後への期待も併せ持つものとなった。
文中 敬称略
ラベル: event
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